最高裁判所第一小法廷 事件番号不詳 判決
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
論旨は、畢竟事実審における証拠の採否を争い事実誤認を主張するに帰し、すべて「最高裁判所における民事上告事件の審判の特例に関する法律」(昭和二五年五月四日法律一三八号)一号乃至三号のいずれにも該当せず、又同法にいわゆる「法令の解釈に関する重要な主張を含むもの」と認められない。
よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。(昭和二九年一〇月七日最高裁判所第一小法廷)
上告代理人仁科康の上告理由
第一点 原審判決は左の通り実験則乃至推理の法則を誤つて事実を認定した違法があり、これが判決に影響を及ぼすこと明白である。
一、本件の主たる争点は売買契約の売主が訴外富士機械工業株式会社(以下工業社と称する)か、同玉置磯治かということに在る。これについて、被上告人は契約書に基き、前者であることを主張し、上告人は契約書の表示は当事者双方の話合による便宜上のもので、後者が真実であると主張するものである。これに対し、原審は、上告人の主張する当事者双方の話合により、契約書に売主を工業社名義にしたとの主張を左の理由により排斥し、被上告人は上告人の為に玉置を相手方として契約する筈がないと断じ、第一審判決を覆して被上告人の主張を容れた。(1)工業社は指定業者(この場合は中日本重工業株式会社)の代行者であるが、玉置個人ないし、上告人は代行者ではない。(2)農林省は当時個人を相手方として取引をしたことがない。(3)守屋と玉置は面識なく、従つて、前者が後者を信用する筈がない。(4)上告会社は設立前だから信用が薄い。(5)工場がないと思われるので、工業社の名義または設備でも利用しない限り、組立てて納入できない。(6)設立中の上告人のために玉置と本件契約をしたのでは工業社の債務を返済させる訳にはいかない。
二、以下前項の各号につき番号を追つて検討するに、左の通り実験則ないし推理の法則の違背がある。(1)工業社は中日本重工業株式会社代行者となつていたと認定するが、その証拠として、挙げた藤川、小川、守屋、高野、玉置の供述中、これを裏書するものは守屋、高野のそれのみであつて、却つて中日本重工業株式会社社員である藤川証言はこれを否定するが如き証言をしている、それは暫く措き、仮りにその点は被上告人主張の通りだとしても、その様な関係があれば尚更、工業社名義を使用する必要があつたものと云わなければならない。原審判決は本末を顛倒している。(2)これも亦前号と同様である。(3)これは契約内容と目的とによる信用の必要の程度と他の要請とに対する価値判断を欠ぐものである。守屋と玉置が嘗て面識がなかつたのであるから、前者が後者に絶大な信用を寄せたとは勿論考えられない。併し前者は少くとも後者が工業者の旧取締役であることは知つていたのであるから、全く無縁、無力な人間とは考えていなかつたと見るべきである。原審によれば工業社は信用できたと云うことになるであろうが、七十五万円を流用費消し経営状態苦しく代表取締役が逃亡中(守屋原審証言第二項)という同社の何処を信用できたと云うのであろうか。元来本件契約は買受品の銘柄は特定し、代金支払も検収後であるから、信用の有無は大して影響がない。只、組立技術の拙劣、納期の遅延等が多少問題となるのであろうが、前者は玉木が専門家であるから問題ない。後者も、守屋の失策をカバーする必要からみれば問題にならない。況んや、工業社名義になつて居れば弁解の途は限りなくある。(4)これも亦前号同様である。(5)工場がないとは何等の証拠なき原審の想像である。工業者名義利用の意味は判らぬが、仮にその名義ないし設備を利用して、組立てなければ組立てられぬとしても、玉置が自己ないし設立中の会社の為め、契約当事者となるに、それが何の妨げとなろうか。(6)この意味も亦明らかでないが、玉置は本件契約締結に際して、工業社の債務を逐次返済することを附帯条件としているのであるから、この契約が新会社に引継がれるならば右条件も引継がれる筈である。原審判決は、新会社に債務を承継させることが新会社の目的外となる可能性も云うものであれば、工業社の開拓した取引先をその儘利用する為め必要な行為として何等不安はない。これは玉置が原審証言第十二項に於て明言する所である。原審は別に、新会社には債務引受を為す何等法律上の原因なく、又これを認むべき資料なしと述べているが、これは前記法律的原因を看過し、前記証拠に対する判断を遺脱したものである。又原審は資本金の四分の三に当る債務を引受けることは設立中の新会社の立場を無視するとも云うが右玉置証言に目を蔽うものと云わなければならない。
三、原審は、乙第三号証の一ないし一七(貨物発送通知書)に富士殿と記載しあること及び当時工業社の会計係小川が代金の一部を受領していること等を挙げ、本件売買の相手方が同会社であるとの認定を確証すると為している。併し、既にして、表面上、右会社名義を以て契約した以上、荷送人名義も同会社とするのは当然である。又、小川が右会社の会計係であつたことは、その第一審証言第二及第五項に於て明らかであるが、この事実のみで、右代金が右会社によつて受領せられたことにはならない。却つて、右証言第五項に於て、右受領代金は破産財団に属していないことを明言し、契約者が右会社でないことを示唆している。同人が守屋対玉置、及び蒲生対玉置間の交渉の節も同道していることは同人と玉置とは固より、守屋、蒲生等も亦認める所であり、又、同人は上告会社の設立にも参画して居り(同人証言第一項)玉置個人の協力者でもあることは明らかである。
四(一) 凡そ、当事者の陳述に、齟齬がある場合は、単にその陳述のみに拠らず、周囲の客観的事情を判断して、その真偽を合理的に推定しなければならぬ事は敢て喋々を要しない。然るに原審は、前二項の如き確たる証拠なき理由を云為するのみで何等首肯するに足る理由を示していない。(二) 本件には、原審判決が自ら判示するが如く、工業社は経営上行詰り、昭和二十五年三月十四日解散し、玉置はその清算人に就任し、同年四月三日その登記をし、更に同月二十二日自己破産の申立を為し、同年六月三日破産宣告があつたが、本件契約は右清算中(同年四月下旬頃、これは玉置証言のみでなく、守屋第一審証言第十三項)に締結されたものであるという客観的事実がある。加之、玉置、小川等の証言をまたずとも守屋自身の証言(原審第二項中頃、第一審第六項末、同第十八項中項)により、銀行に渡すべき七五万円を受領したのは小山で、費消したのは佐野らしく、玉置はこれを知らず、又、佐野は逃走中であつたことが窺われる。一方、売買の目的物の価格が金一四六万九千円であり、原材料は中日本重工業株式会社から仕入れ、玉置等はこれを組立てて納品するだけである事等は争なき事実である。(三) 原審判決は右の如き客観事実の一部を挙げて、単に、玉置は工業社の代表権があつたし、佐野名義使用は玉置が解散の事実を守屋に告げなかつたのであるから、自己の認定の妨げとならぬ旨判示しているのみである。而して、右客観的事実により左の如き実験則上当然出る結論に対し、些かの判断すらしていない。(1)守屋から銀行えの不払を詰問された際の説明として玉置は、佐野社長の逃亡、資産状態、解散、破産申立準備中等の事実は、現に実施中だつたのだから、これを告げたと見るのが原則である。蓋し、支払ができぬ理由として当然の説明事項であり、詰問事項でもあるからである。これを否定するには、その特別の理由がなければならない。併し、原審判決はその特別の理由を示さない、これは示し得ないのである。蓋し、前述の如く、銀行えの支払金流用者は逃亡中で、玉置はその直接の責任者ではないから、会社の現状を隠して迄返済の誠意を見せなければならぬ立場でない。又、隠しても、何の利益もない。何となれば、工業社を再び復活せしめる意図もなく、又その様な状態でもなかつたことは、本件契約締結の頃自ら破産申立をしていることから推定し得るのであるから、斯る会社の解散の事実を隠すことは何の意味もない。尤も工業社名義で、自己が取引し、利得しようとする場会は別であるが、この点は上告理由第二点の問題となる。(2)玉置が既にして、清算人として、四月二十二日自己破産の申立を為しているに拘らず、この前後に工業社を代表して農林省関係債務のみの返済を約して、新取引を開始することも前号同様に考えられる。斯る行為はしないと見るのが実験則上の原則である。為したとするには特別な理由を必要とするに拘らず原審判決はこれを示さない。玉置に斯く迄する義理も利益もないことは既述の通りである。加之、玉置がこれを敢てすることになると、その返済を約した七五万円は本件売買代金の半額以上で、組立だけで斯る純利益を挙げる筈はないから、これを返済すれば原材料仕入先たる中日本重工業に負担を転嫁することとなるのは必然であり、同社に対しては詐欺罪を犯す結果となろう。或は、この場合に限り右七五万円全額の支払を約したのではなく、逐次利潤で返済することを約したとする上告人の主張を認めるとしても、破産宣告後の取引について会社代表権の問題を説明できまい。
五、之を要するに原審判決は第二項及び第三項に述べた如く実験則ないし推理の法則に積極的に違背し、更に、前項記載の如く、争い得ざる客観的事実より右法則上当然生ずる判断を遺脱し、消極的に右法則に違背して事実を認定した違法あるものというべきである。而して、右違法は、本件の主たる争点に関するものであるから、判決に影響を及ぼすことは勿論である。
第二点 原審判決は、左の通り、判決に理由を附さない違法がある。
即ち、玉置が設立中の新会社の為め個人で本件売買契約を締結したものであると為すことは上告人の一貫した主張である。玉置が斯く、工業社の代表たる資格に於て本件契約を締結したものでなく、個人として、締結したものであれば、真実の契約当事者は、相手方たる被上告人の善意悪意に拘らず、玉置と云わなければならない。相手方の善意が如何に保護せられるやは別個の問題で、例えば、相手方は必要があれば詐欺による意思表示として本件売買契約を取消すこともできるであろう。原審は、右の玉置の意思が奈辺に在りしやを判断していない。その事実認定は、単に玉置が、守屋に工業社に発注して貰いたい旨申出たとしているのみであるし、その認定理由の説示も総べて、一語にして尽せば、農林省は玉置を相手とする訳がなく、工業社を相手にしたものであるとするのみで、却つて、判決書第六丁裏末行に於ては「玉置個人の事情はともあれ」と述べ、玉置の意思の判断を回避している。従つて、原審判決は、この点に関する判断を欠いて、契約当事者を玉置に非ずとなした理由を附せざる違法があると云わなければならない。